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沖縄空手|館長のブログ

空手に先手なし

暦は今日から10月。
午後は求道館での自主稽古。
求道館にも神棚がおかれている。
正中は正面の中央。一番尊い場所だ。
正面両脇に扁額が飾られている。
特に決まりは無いが上座には「空手無先手」、次座には「一器水瀉一器」だ。
何れも斯道の格言である。 CIMG2062.jpg
上座の扁額は、つい先頃、楷書に新調、寄贈されたもの。
空手の型同様、楷書体に拘る恩師がたいそう喜んでいる。(感謝)
多くの門弟が扁額の見下ろすこの場所で薫陶を受けてきた。
松濤館流の冨名腰義珍先生が松濤二十訓(空手二十箇条)で「空手に先手なし」を初めて説いたといわれ、県立武道館の位置する奥武山運動公園の鳥居の横に、その顕彰碑が立つ。
「空手無先手」は空手の心得をしるす有名な言葉なのだが、実は剣術の世界でもいにしえの達人の言葉がある。
神道無念流齋藤弥九郎の教えに「武は戈を止むるの義なれば、少しも争心あるべからず。剣を学ぶ人は心の和平なるを要とす。兵は凶器といえばその身一生用うることなきは大幸というべし」・・・
「己を後にし人を先にし、人と争はざるを善人とす。囲碁の戯れのごとく人に勝つをもって楽とするはいにしえの礼にあらざるなり」・・・などがある。
足繁く通った道場で恩師から拳聖喜屋武朝徳先生の言葉をよく聞かされた。
「長年修行して、体得した空手道の技が、生涯を通して無駄になれば、空手修行の目的が達せられたと心得よ」と弟子たちに諭したそうだ。
時代は違うが、何れも、心技体一如の境地に達し、人間性豊かな人格が形成されることを願った含蓄のある言葉である。


2009年10月 1日 12:37 |

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