昨晩、那覇市某居酒屋で手を語る会の例会があり、早い時間から顔出した。
前回は少し遅めの新年会を開き、会員の志気を高めたばかりなのだが、年度始めの多忙な時期に重なり多くの会員が参加することはなかった。それでも、手を語る会は多士済々です。
例年欧州で開く沖縄空手セミナーへ参加する筈だったTさん。今回は、東日本大震災により、本業とする緊急消防隊の任務が重なり、震災三日後から岩手県へ隊長として派遣された。
そのTさんから現地の惨状が話され、改めて被災地の実態を知ることができた。
さらに県薬剤師会の要職にあるKさんから、医療支援として多くの薬剤師が被災地に派遣されていることが報告された。
一方、本島北部の地で剛柔流池○塾を主宰するIさんは、稽古場となる公営の武道場で稽古の時間が終わると、空手の技法による脳卒中患者のリハビリへの応用を実践中とのこと。ある応用例を巡って、GW明け後にメディアのカメラが入る予定だそうだ。
最近は本業とする建設業より、マスコミ社の主催するカルチャースクールなどの講師活動で、メディアへの露出度が高い。
昨日の例会には、沖縄伝統空手道四団体統一へ向けてご尽力されたK先生が突如として会場に参加した。公立高校の校長職を終え、気難しい?空手組織の先生方を訪ねて、統一組織を誕生させた立役者なのだ。
昨年沖縄で開催された日本スポーツ人類学会におけるシンポジウム。小林某氏の発表した論文を沖縄伝統空手への間違った歴史認識だと指弾し、某氏の発表を放置することなく反論して欲しいと訴えた。
本土における空手の実践者が、なんと沖縄の地で「世界に普及している空手は沖縄が発祥の地であり、本場で空手の聖地」ということは間違いであると、その根拠を発表したのである。
この論文・発表が沖縄空手の歴史と権威を損なうものであり、しっかりした空手の哲学と歴史を整理して、「沖縄が空手の発祥の地であり、本場である」という歴史書を早急につくるべきとK先生は提言した。また、その間違った歴史観が沖縄の空手家が出版した本に原因があるとも厳しく指摘があった。K先生が別用事で中座することになったが・・・共感することが多いので、挨拶代わりに名刺交換した。ところが30分後携帯が鳴って、K先生からの着信があり、住まいが隣町なので話がしたいとあった。早速、今日の午前中に会い、多くの知遇を得ることが出来た。
沖縄の空手家がこれまで統一組織もなく、空手の全体の歴史や定義、理念、流派の型等について共同研究をしなかったことがこうした問題を生み出した。空手古武道大事典が優れた事典であることは認めるものの、一部で不十分さ露呈する記述があり、歴史の検証に耐えることができないと話していた。同事典の人物紹介などに事典の真正性に疑わしい個所が散見されるので同感ではある。
空手界に統一組織が誕生し、学校で武道の必修課が始まる。しっかりした空手の歴史観と定義で正しい沖縄の空手を語ろう。教えようと話されていたのが印象に残る。
恩師の命名した少林寺流への異見もあったが、今後、勉強会への誘いもあるのでその機会にK先生とディベートしたいと考える。
その他、統一組織に向けての説明会で最も抵抗が大きかった全沖説明会。
先生曰く・・・「全沖の先生方はウーマク達が多くて大変だった」と苦労話もあった(;^_^A
穀雨の節、昨晩から雨が降り続いている。
降雨の少ない今年、農家にとっては恵みの雨になるだろうか・・・
東北地方を襲った巨大地震・津波、そして原発事故による甚大な被害。
全国から温かい支援の輪が拡がっている。
一日も早く元通りの生活に戻れるよう願うばかりである。
先日の社団法人沖縄古武道連盟の演武大会は、東日本大震災へのチャリティーイベントで行なわれた。
遠く沖縄から支援の心を被災地へ届けようと・・・
大会当日会場で集めた募金と大会収益金が日赤県支部を通じて被災地へ届けることになった。
県内マスコミ社で今月28日で窓口が締め切られるという。
今日午前10時、S社の中部支社を訪ねた。
社団法人の三役・理事の9名が参加、演武大会の報告し、義援金を託した。
演武大会へ多くの児童が出演したが、空手や古武道を通じて培った優しい心・・・しっかりと被災地へ届くだろう。
演武大会へ参加された皆さん!
清明祭の多忙な折、応援のために駆け付けてくださったご父母の皆さん!
本当にありがとうございましたm(__)m
うりずんの季節。
朝から陽射しが強く好天に恵まれた。
沖縄本島中部のうるま市勝連のきむたかホールで、社団法人沖縄古武道連盟の第27回古武道・空手道演武大会があり、与那原教室の児らと参加した。
当初三月に予定した大会であったが、東日本大震災による甚大な被害により、急拠延期されてチャリティー演武大会として開かれた。
会場では募金箱を設置し、大会の収益金と共に義援金として被災地へ届けることになった。
毎日が普通に稽古のできる環境に感謝しつつ、被災者の皆さんが一刻早く復興への道を歩むことを願い、頑張ろう東日本!との思いを胸に一層力を込めて演武した。
大会終了後に理事会が開かれ、明々後日には県内マスコミ社を通じて義援金を届けることが決まった。
空手や古武道の練習を通じて学ぶ他人を思いやる心は、きっと東日本で被災された方々のもとへ届くでしょう。
清明祭の多忙な折、子供たちを応援して下さったご父母の皆さん、そして募金へ協力して下さった皆さんへ心から感謝申し上げます。
ところで、練習生の皆さんには6月、7月、8月と大会シーズンに入ります。
皆で楽しく、しっかり練習して大会へチャレンジしましょう。
東日本大震災から三週間。戦後最大の犠牲者を出す大惨事で、未だに遺体収容と行方不明者の捜索が続く。
復興には一年や二年ではないだろう。もしかすると10年、それ以上に及ぶだろうか・・・
周りでは被災者の心情に配慮した上で、数々の娯楽系イベントが中止、延期されいる。
たまに訪ねるHPでも、直接の被災地ではないが、計画停電や地盤の液状化で公共施設の使用制限もあり、空手・古武道稽古の休止が続いているようだ。
67年前の今日、米軍が沖縄本島へ上陸し、日米の軍隊が激しい地上戦を繰り広げた。島の地形が変わるほど砲弾が打ち込まれ、数え切れないほどおびただしい人々が殺された。それから四ヶ月後、旧石川市(喜屋武朝徳先生が亡くなった最期の地)へ沖縄諮詢会(沖縄県の前身の琉球政府のまた前身)が設置され、戦後の政治・経済・文化の発祥の地として、いち早く復興への体制が取り組まれた。
戦禍で打ち沈む人々の心を慰めようと各地の芸能関係者が集められ、各地の慰問活動を行なったという。
東日本大震災で1万人以上がいまだに行方が知らない中、不謹慎な記事として取らないで欲しいのですが・・・
沖縄の戦後復興の時代に「命の御祝事さびら(ヌチヌグスージサビラ・生きていることを祝いましょう)」と慰問活動に取り組んだ芸人がいた。沖縄版チャップリンの○那覇舞天こと、○那覇ゼンコウさんである。
家族や親戚を失い悲嘆に暮れる人々も多くいる中、「命のお祝いしよう!」そう言いながら三線を手に歌いだす。当初、多くの人々の怒りを招いたという。
「こんなに沢山の人が死んだのに何がお祝いか!?」と・・・
舞天さん曰く「死んだ人は沢山いるけど、あんた方は生き残った。死んだ人の分まで幸せに暮らそう」と歌や踊りで住民を元気付けたという。
逆境と戦う人々、前向きに生きようとする人々にとって、スポーツ、文化や芸術はどんな存在なのだろうか?
今回の震災でいろいろな意見がある中、選抜高校野球が開催され、プロ野球は開幕戦の延期やナイター自粛?となった。
公演中止にせざるを得なかった芸能関係者の方々、これから先はどうするだろうか。
地震と津波の恐怖から解き放され現実を受け入れる頃、大きなストレスに襲われる被災者も少なくない。
そんな時に、スポーツや文化、芸術が心の避難場所になって欲しいと思う。