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沖縄空手|館長のブログ

東日本大震災の犠牲者を悼む

東日本大震災から三週間。戦後最大の犠牲者を出す大惨事で、未だに遺体収容と行方不明者の捜索が続く。
復興には一年や二年ではないだろう。もしかすると10年、それ以上に及ぶだろうか・・・

周りでは被災者の心情に配慮した上で、数々の娯楽系イベントが中止、延期されいる。
たまに訪ねるHPでも、直接の被災地ではないが、計画停電や地盤の液状化で公共施設の使用制限もあり、空手・古武道稽古の休止が続いているようだ。

67年前の今日、米軍が沖縄本島へ上陸し、日米の軍隊が激しい地上戦を繰り広げた。島の地形が変わるほど砲弾が打ち込まれ、数え切れないほどおびただしい人々が殺された。それから四ヶ月後、旧石川市(喜屋武朝徳先生が亡くなった最期の地)へ沖縄諮詢会(沖縄県の前身の琉球政府のまた前身)が設置され、戦後の政治・経済・文化の発祥の地として、いち早く復興への体制が取り組まれた。

戦禍で打ち沈む人々の心を慰めようと各地の芸能関係者が集められ、各地の慰問活動を行なったという。
東日本大震災で1万人以上がいまだに行方が知らない中、不謹慎な記事として取らないで欲しいのですが・・・
沖縄の戦後復興の時代に「命の御祝事さびら(ヌチヌグスージサビラ・生きていることを祝いましょう)」と慰問活動に取り組んだ芸人がいた。沖縄版チャップリンの○那覇舞天こと、○那覇ゼンコウさんである。
家族や親戚を失い悲嘆に暮れる人々も多くいる中、「命のお祝いしよう!」そう言いながら三線を手に歌いだす。当初、多くの人々の怒りを招いたという。
「こんなに沢山の人が死んだのに何がお祝いか!?」と・・・
舞天さん曰く「死んだ人は沢山いるけど、あんた方は生き残った。死んだ人の分まで幸せに暮らそう」と歌や踊りで住民を元気付けたという。

逆境と戦う人々、前向きに生きようとする人々にとって、スポーツ、文化や芸術はどんな存在なのだろうか?
今回の震災でいろいろな意見がある中、選抜高校野球が開催され、プロ野球は開幕戦の延期やナイター自粛?となった。
公演中止にせざるを得なかった芸能関係者の方々、これから先はどうするだろうか。

地震と津波の恐怖から解き放され現実を受け入れる頃、大きなストレスに襲われる被災者も少なくない。
そんな時に、スポーツや文化、芸術が心の避難場所になって欲しいと思う。


2011年4月 1日 22:04 |

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