TOPへ館長のブログ > 5月13日の論壇投稿を読んで(門下生O氏より)

沖縄空手|館長のブログ

5月13日の論壇投稿を読んで(門下生O氏より)

県内2紙に掲載された亀川爵氏の論考「『空手の日』再検討、改善を」と「空手発祥地沖縄 発信を」をたいへん興味深く読ませていただいた。
シンポジウムでの小林氏の発言を私は知らないので、そのことに触れるつもりはないが、
2論考は統一の渦中にある沖縄空手界に重要な問題提起を投じたものであり、亀川氏に大いなる敬意を表したい。
3年前、沖縄空手道振興会発足のニュースを耳にした時、正直なところ、統一は結構だが、組織としてのアイデンティティーをどこに置くのだろうか、と感じたものだ。
本土団体との確執に加え、競技方式、わけても型の扱い、段位認証・付与権限等々をめぐる議論が、分裂の過程にはあったと聞いていたからだ。いずれも、何をもって正統となすかに、大いなる関係をもつことがらである。
 そもそも、今日本土の主要団体で行われている空手と、往時沖縄で行われていたそれ(「手」、やその近代的呼称「唐手(カラテ)」)との間の、差異と相互関係の認識を抜きに、この論は進められないのではないか、と思う。
一昨年の「世界大会」は記念すべきイベントであった。しかし、例えば型競技における上位進出者の演武に、本土の大会では見ることのできない特別な伝統性を感じた人はいたのだろうか。言語や生活様式の独自性が急速に失われていく今、放置すれば、将来を担うべき若い世代の空手は脱伝統(本土化)していくのではないか、上記の型競技の最中に感じた不安が杞憂であることを望む。
「空手」の表記のみならず、空手の象徴のような空手衣の様式に見られるように、空手にまつわる表層的な部分は既に、源流にある沖縄が逆に本土からの還流に呑み込まれようとしている。残る武的で本質的な部分にあっては、優れた祖先の伝統を是非とも守っていってほしいと願う。
言うまでも、沖縄伝統の空手の実相は一様ではない。少林系各派や上地流系等々数多くの系統・系譜が現存している(遺されている)。それぞれが異なる伝承史をもち、異なる技法伝統や身体操法を今日に伝えており、さらに、これらを同じ「沖縄空手」の範疇にとらえ、共存してきた歴史が沖縄にはある。
和して同ぜず、とは我が師の好んだ言葉だが、個別性を尊重し、安易に融合・変容させることなく、互いに並存していくことの大切さ。本土において伝統性が失われた原因のひとつが、個別性の否定、型や技法の均一化であったとすれば、今後の沖縄伝統の拠って立つところは明らかだと思う。
論考には「沖縄が空手の発祥地で本場(聖地)という歴史を沖縄伝統空手道振興会でまとめて文書化し・・・」との言葉が紹介されている。時宜を得た提起に全く同感である。
そして、文字で描かれた歴史に加え、本土空手とは厳然と差別化される伝統の今日的実在によって、「いずれが本場」論の勝敗は、自ずからなされるものと信じている。そのためにも、本土の還流攻勢に流されぬ批判的観点の堅持と、伝統遵守の目的意識的追究を、関係者の共同意識として形成することが急務であろう。
亀川氏の御提起を称え、ご活躍をお祈りする。 (少林寺流求道館門下生O)


2011年5月30日 23:19 |

PAGETOPへ