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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

宗家仲里常延先生とは

1922年4月13日沖縄県南城市知念字知念(旧知念村字知念)にて父・仲里常一、母・ゴゼイの長男として誕生する。家柄は、廃藩置県まで地頭職(今風に言えば村長さん)を務めていた旧家で、初めて男児が産まれて大賑いだったという。
幼い頃、大切に育てられた先生には、「延ちゃん」という愛称があったという。子供の頃から明朗活発でayu3.jpg
成績優秀で子供の時から目立った存在であった。
事実、当時はこの知念地域から、親もと離れて那覇や嘉手納へ進学するのは限られていたという。(写真は昭和15年)
1938年4月、県立農林学校へ進学したときに拳聖喜屋武朝徳に出会い迷わず入門する。その頃、喜屋武朝徳先生は農林学校で週一回、空手の指導を行なっていた。
恩師仲里常延先生は、直ぐに空手の修行にのめり込んでいった。
沖縄八景の地、風光明媚な比謝川の辺、読谷村比謝矼に住居を構えていた拳聖喜屋武朝徳先生の下へ足繁く通っていく。
戦前の首里手・泊手の系譜は複雑で、当時の空手の先生は、互いに羨望し合い、得意な型のみを教え、他は紹介し合ったという。
いわゆる、一生の間に多くの師に師事する傾向が強かったという。
その状況下、仲里常延先生は、青年師範学校時代、北玉青年学校勤務時代まで師事していく。
とりわけ青年期における仲里常延先生の修行は、喜屋武朝徳先生の空手の系譜の全面的な継承者となったのであります。
戦争によって引き裂かれるまでの6年間の師弟関係が、拳聖喜屋武朝徳先生の心と技を伝承できたのであろう。

■武歴
1943年8月、今帰仁小学校、本部小学校にて出征軍人遺家族慰問演武大会
1944年1月、北支那派遣軍入隊後、過酷な兵役時代を送る
1947年6月、熊本県内で道場開設。農業の傍ら、門下生指導。
1948年、熊本市内の歌舞伎座で演武大会開催。奥原文英、許田重発(剛柔流)
1952年3月、南城市知念の住居で道場開設
1960年1月、全日本空手道連盟沖縄地区特別本部副会長就任
1960年2月、全日本空手道連盟より空手道範士九段允許
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1965年5月、沖縄空手道連合会副会長就任
1967年5月、沖縄空手道連合会を全沖縄空手道連盟へ移行
1972年11月、全日本剣道連盟より剣道二段允許
1982年11月、全沖縄空手道連盟より範士九段允許
1983年2月、全日本銃剣道連盟より銃剣道六段允許
1984年10月、中国・沖縄交流武術大会演武
1985年9月、中国福州市武道会館典礼へ招聘演武
1989年11月、全沖縄空手道連盟より範士十段允許
1995年5月、第15代全沖縄空手道連盟会長就任(通算5期)
1997年5月、全沖縄空手道連盟顧問就任
1997年8月、沖縄県知事より感謝状授与
1997年8月、少林寺流命名記念碑の建立(自宅内)
1999年7月、拳聖喜屋武朝徳先生の顕彰碑建立(嘉手納町)
2000年8月、拳聖喜屋武朝徳先生生誕130年少林寺流命名45周年記念演武大会開催
2000年9月、沖縄県指定無形文化財「沖縄の空手道・古武術」保持者認定
2007年11月、沖縄県教育委員会文化功労者表彰


2008年5月20日 16:25 upload

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