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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

志喜屋仲ぬ棍(シチャヌナーカヌクン)

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知念村字志喜屋、屋号「志喜屋の仲」の仲里仁寿氏から五代目の先祖は、棒術の達人として広く世間に知られ、現在でも字民は勿論、斯道に精進する人々からも「志喜屋仲の棍」として高く評価されている。彼は、幼少のころから武芸に趣味をもち、絶えず鍛錬と研究を積み、時には、十数日も山篭りして神に祈り、獄米を食して修業したという。かような厳しい修業の結果、彼独特な棒術、いわゆる「志喜屋仲の棍」を編み出したのである。彼の棒術は、細い田圃の畦の一本道を思わせる演武線と「貫手」・「突き手」・「裏打ち」など臨機応変、自由自在、変化に富んだ型が特徴である。彼の優れた武術と温厚な人柄が認められ、首里の末吉殿地に仕官したのである。真面目でおごることを知らない彼は、仲間同士からも尊敬されていた。特に主人から寵愛され、琉球王府の使者として、主人が中国や日本に派遣されるときは、いつもお供をし、それとなく警譲に当たり、無事その大任を果たしたという。なお、末吉殿地仕官中に主人に棒術を教授したという。志喜屋部落は、彼の感化を受けて以来、棒術が盛んになり、戦前までは、四人組の「ダンナ棒」、二人組の「組棒」、「ヤリの手」、「尺の手」など独特の武術の伝統を誇りとし、更に、毎年旧歴8月11日のヨーカビーには火の神を祭ってある「殿」に棒をそなえて部落の人たちが多数集まり、「志喜屋仲武士」の偉業をたたえ、古老の話しに耳を傾けたのである。現在、志喜屋仲の棍保存会により、「志喜屋仲の棍」が普及されつつある事は、文化財保護の上からも意義深いことである。


2008年5月21日 10:39 upload

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