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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

徳嶺ぬ棍(トクンミィヌクン)

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江戸の末期から明治の初期にかけて、首里に棒術の名手として人々から尊敬されていた武人に徳嶺親雲上がいた。「徳嶺の棍」の創案者である。徳嶺系の棒術は、首里を中心にして継承されていたが、故あって(一説には政治犯で)徳嶺親雲上が八重山に転出したので、いつしか、首里界隈での徳嶺系棒術の伝授者がなくなった。そして、この棒術の伝承は八重山に移ったのである。このことを知った喜屋武朝徳先生は徳嶺系棒術の核心をなす「徳嶺の棍」の教伝を仰ぐべく、昭和の初期に八重山に赴いたのである。だが時すでに遅く、徳嶺親雲上は現世のものではなかった。しかし幸いにも、徳嶺親雲上から直伝した古老が一人生存していたのである。その古老から授けられた「徳嶺の棍」は、やがて嘉手納でその伝承上の人派を持つようになり、近くの村々の棒術にも大きな影響を与え、今日に至っている。さて、棒の長さは六尺、技術的には「貫技」や「突き技」・「受け攻撃」を多用するところが「徳嶺の棍」の特徴である。更に演武線は、八方の敵に対する攻防からなっている。 ※写真は顕彰碑の除幕式で喜屋武朝徳先生の愛用の棍で「徳嶺ぬ棍」を演じる館長


2008年5月22日 10:43 upload

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