喜屋武朝徳先生の論稿

唐手の練習と試合の心得

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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

唐手の練習と試合の心得

拳法概説:東京帝国大学唐手研究会、三木二三郎・高田瑞穂共編 1929(昭和4)年12月

研究余禄十四、唐手の練習と試合の心得
沖縄県農林校 喜屋武朝徳氏は今年六十一歳、而も壮者を凌ぐ気魄と意気を有し、現在農林学校並びに比謝矼唐手研究所の唐手師範にして青年の修養、保健に貢献されている。(編者の言)

一、唐手の歴史及び大意
身に寸鉄を帯びず敵にすきあれば拳骨、M_kyan.jpg猿臂を以て之を突き、足を以て之を蹴り、敵の攻撃に逢へば身を転じ或は手足を以て之をはづすもの、是沖縄特有の武術也。
然るに之を唐手と名づくるは今より四百余年前即ち応永、永享の頃支那に渡航せしも、彼れの武術を学び帰国の後、之を沖縄特有の武術に加味し爾来改良を加へ益々進歩発達を来せしを以てなり。

これ支那に於ける遣り方と各々其の趣を異にするを見て知るべし。支那に於ては敵を突くに主に指頭を用ふれど沖縄に於は主に拳骨を以てせり。故に拳骨は沖縄特有の格闘手段の一なりしことを知るべし。
現在唐手の流儀に二つあり、昭霊流、昭林流是也。而して其の形は数十種ありと雖も要するに「体」「用」の養成に過ぎず。昭霊流は「体」を主とし、昭林流は用を主とす。何れも長短得失あり、苟もその可否を速断すべからず。即ち被教育者の性質体格の如何に依りて、其の何れに重きを置きて教育すべきかを定むるを要する。唐手の応用即ち現場試合は千變萬化ありと雖も要するに「正」「奇」の二者に過ぎず。又其の実施手段としては「満」「寸」「越」の三者あるのみ。而して三者何れを採用するかは彼我の状況如何に依りて決するものとす。是れ所謂知彼知己而後戦者也。


二、練習の心得
A,練習の順序は先ず唐手の如何なるものかを教え、次に練習の心得、夫れより姿勢及び進退身轉し、拳骨、猿臂の突き方、足の蹴り方並びに其のはづし方を練習せしめ、次に形を教え、形略に習熟したる後試合に移るものとす。
B,試合には従来防身用の器具を用ひずして素身を以て行ひたる故、時に危険なかりしに非ず。就ては今後は要所に撃剣術の如く器具を施し、拳骨にはゴム製の小手をはめしむるを要す。然るときは危険の恐れなし。
C,練習には巻藁及右に述べたる器具の外何にも要せず且相手及び広き場所を要すことなし、是れ唐手の特権なり。
要するに平素の練習に於て能く其の原則を会得して体力及び手の突き、足の蹴る力を強くし、手足を機敏に働かし、身体を自由に轉ばし、練習久しきに至らば自ら運用の妙を覚り遂に臨機応変の処置適切なるべし。然りと雖も単に身体手足の術に汲々として其の根本たる精神の修養を怠らん乎、用をなさざる也。能く本来を明かにし、身体手足の術を練習すると同時に大に謹慎、沈着、機敏果敢等の修養に勉むるを要する。
(一)武は暴を禁じ乱を遏め身を衞るの具也。故に武術を学ぶ者は常に謹慎を旨とし行為正しく忠義の心を存すべし。
(二)夫れ為すべきときに當り心を盡し、力を竭し、身を致すは武の本領なり。苟も強きを恃に人を凌ぎ驕傲顧るなくんば必ず害毒を世に流し人に嫌はれ自ら傷はん。大に心すべき事也。諺に曰く「拳骨は袖内の寶也」と。是れ其の妄に發すべからざるをいふ。
(三)唐手の目的は體育の發展、武術の練習、精神の修養をなすにあり。
(四)姿勢は不動の姿勢にして圓田-下腹部-に気を沈め浮ばぬ様にすること。但し凝り固まることは大禁物たるべし。
(五)形を行ふ時は現に敵を控へたる気合にて行ふこと。
(六)手足の働き、身の轉ばし、進退等は機敏を旨とすること。
(七)形を行ふ時能く意味を確かめ「體」「用」及び上段、中段、下段を誤らぬ様にすること。但し無意味の練習は徒労なり。
(八)巻藁を能く練習し、當を強くすること。如何に早業なるとも當強からざれば用をなさず、又當如何に強なるも手足の動作、進退、機敏ならざるときは凝れ用をなさざるなり。故に當と機敏とは車の兩輪の如く一つも缼くべからず、又輕重あるべからず。

三、現場試合心得
(一)先づ敵の強弱を確め然る後、手を發すべし、敵強者ならば必ず力を恃み、押手を多く用ひ攻勢を取るべし、然るときは我は主に防拂ひを用ひ敵をして益々力を入れしめ、隙を窺ひ返突を行ふべし。是れ敵の力を借るの法なり。
(二)敵弱者ならば身の動き、働き、多くして能く退足を用ひ常に守勢を取るべし。この時妄に追ふべからず。只だ拳、足を發動して敵を誘ひ退足を用ひしめ急に踏込むべし。我れ先手を用ふる時は不意の豫防肝要也。
(三)力を恃み、早業を恃んで妄に敵を襲ふべからず。敏捷なる者は動かざる前に手、足の發動を察し早く返突を行ふ。
(四)我れ無形にして敵に對して發動の那邉に在るか知らざらしむることは極めて必要なり。敵の強弱関せず進退は三あしに過ぐ可がらず。
(五)格闘の時、目より股の間の中央の防備に注意すべし、殊に六危に突込まれざること叉睾丸を蹴られ、握られざること注意肝要なり。凡ての防備は余り多力を用ひざるを可とす。若し防拂に多力を用ふれば防拂各自の動作緩慢となり多くは好時機を失するものなり。
(六)腕を掛ける時は強くして、弱くして強き心地たるべし。是れ敵の發動を窺ひ臨機の處置をなさんがためなり。
(七)拳を以て敵を突くには迅速を尊ぶ。若し拂はれて目的の場所を突く能はざる時は場所を選ばず何所にても突くを可とす。然る時は假例強く當らずとも敵必ず氣を失ふ。その時打續き貫詰め絶へ間なく迅速に手、足の差別なく得意次第に用ふべし。
(八)敵の蹴り込む足は必ず手を以て掬ふを要せず、足を以て之を拂ひ同時に拳を突込むべし、叉敵倒るゝとも輕々しく之を襲ふべからず。時に不覚をとくことあり。
(九)敵に足掬はるときは踏み切る心地にて之を用ふべし。然るときは危き事なし。然れども地面惡しきときは倒るゝ恐あり注意を要す。
(十)敵と相對するときは敵の詭術に陷らざる様注意すべし、拍子を打ち叉は手を掛ける様に見せて足を使ふ者あり、足を使ふ眞似して拳を用ふる者あり、聲を聞きて聲に應じ音を聞きて音に應じ少しも油断あるべからず。
(十一)多數の敵に對する時は組み打ちは禁物なり、成るべく離れて鬪ふを有利とす。
右を衝けば左に轉じ、前に當りては後を撃つが如くすることを是唯一の好手段なり。

右の數條は試合上肝要なる事項なり。然れども是れ唯だ其の一端示にすぎず。要するに武術の變化は神妙にして窮りなし、故に筆舌の盡し得べきものにあらず。唯熱誠以て練習をなし、研究久しきに亘らば自ら悟る所あらん。


2008年6月25日 11:34 upload

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