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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

珍話武勇伝

-珍話「武勇伝」-

少林寺流空手道 親川仁志

羽地王子(尚清王第十子)の第11代目にあたる喜屋武朝扶は、文武両道にたけた高潔な人格者であったという。その三男は武術が非凡であったそうだ。背丈は150cm足らず、体重は50kgそこそこと極めて小柄であったが、その突き出す徒手空拳は、二回りもある大男を一蹴してしまうほどであったそうだ。この武士こそが、明治後期から昭和初期にかけて、天下に威名を轟かせた「チャンミィー小」のこと尊師「喜屋武朝徳」である。師は社会の激変の中(廃藩置県)で、荷馬車引きなどをして生計を維持しながらも武の修行を続けたという。
小生は斯道を志すが、その武術が少林寺流(流派)宗家の源流でもある。こういう中で、「尊師を偲ぶ会」や先輩から見聞したことを書き記すことにした。
これは「達人の教え」として、また「武勇伝」として、現在も求道館の門弟に語り継がれている。


■生まれつきの武士(ウマリブサァー)!?
人間には個人差はあるが、生まれて約一年後に歩行するようになる。
聞くところによると「チヤンミィー小」は生まれて数ヶ月後に歩行したという。
さらに話しは弾み、「赤子の頃、親心で父親がその子をゴザの縁に立たせて、ゴザを手前に引き寄せたところ、転ぶことなくゴザと共に歩み寄った」という。
巷では、これを「ウマリブサァー(天性の武士)」と呼んでいる。


■真剣白刃取りで暴漢を撃退!?
琉球王国の最後の国王・尚泰侯の随員に選ばれた喜屋武親方朝扶(父親)に呼ばれて上京した時のことである。
要人の警護中、襲いかかる暴漢に立ちはだかり、王府の使者に事なきを得たが、自らは白刃で小指を切断された・・・という。
門弟には、師に小指が無いことはよく聞かきれたものである。さて、師の子孫との懇談の機会「尊師を偲ぶ会」があった。
そこでの話しである。父は廃藩後、読谷山でバシャスンチャー(荷馬車引き)をしていて愛馬の世話が日課であったという。
或る日のこと、馬の好物であるマタベー(砂糖キビの先端部で軟らかいところ)を与えようとして、飼犬ならぬ愛馬にガブリとやられた・・・と、孫が祖父を語ってくれた。小生が幼少の頃から開かされた師の武勇伝が、その時にもろくも崩れたのである。
まさに敗軍の将は敢えて勇(?)を語らなかったのである。


■軽量級の横綱相撲(シージマ)
相手を腰に乗せ揚げ、豪快に投げつける沖縄角力は見る目を楽しませてくれる。
人々の栄養状態の良い昨今、競技スポーツとしては、やはり力の大きい者ほど有利である。
技より体力が有為になり、格技として魅力が薄れたことも否めない。今や柔道競技で小男が大男を投げ飛ばすこともめったにない。
このことは競技(スポーツ)化の流れの弊害でもあろう。
さて、この「チヤンミィー小」体型に似つかわず、力士として相当の使い手であったようだ。沖縄では「姿三四郎」のモデルとして知られる講道館柔道の西郷四郎(得意技は山嵐)にも例えられている。
ところどころの角力大会に顔を出しては、大男に試合を挑み、投げ飛ばしたという。
普通、角カは裸足で行うが、「チヤンミィー小」は何故かいつも余裕の草履ばきであったという。


■竿で小突く、愛のモーニングコール
巷には、生理現象の用足しも自宅で行い、身辺の動向に気をつける武人がいる。最も気の緩む開放的な生理現象だから、それもその筈である。機に備えて、就眠枕元に武具を忍ばせる友人もいる。周辺の噂で武人には睡眠時もスキがないといわれるほどである。
起床時に妻が寝起きに身をさすって起そうものなら、瞬く間に身を構え、拳を突く、鋼の脚が飛んでくるという。
そこで師の妻のモーニングコールは、一定の距離を保ち、七尺余の物干し竿で小突きながら行ったという。このことはまことしやかに語り継がれている。
師がこの噂を耳にしたとき、「私は寝ていても、妻のはわかる。夫を起こす愛妻の腕と他を区別できぬ者は真の武士であらず」と言ったそうである。
世の男性諸君、自分の妻の優しさは、理解できますか?
(信憑性は各自の判断に委ねる。そもそも武勇伝はそのようなものと考える)

2002年11月24日


2008年6月16日 23:50 upload

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