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沖縄空手|少林寺流斯道の舘

少林寺流空手道の道統

-喜屋武朝徳先生の論稿を読んで-

少林寺流空手道 親川仁志

沖縄空手の古典書の一つに「拳法概説」がある。これは、東京帝国大学唐手研究会に所属する三木二三郎、高田瑞穂の両氏が昭和4(1929)年7月の沖縄実地調査の成果として昭和5(1930)年1月10日に出版したものである。
本土における唐手とその指導方法に対する疑問を抱き、その究明のため、唐手の本場沖縄に出かけて喜屋武朝徳先生を含めた唐手の名家大家を訪ねて指導を受けたことなどが報告されている。
この「拳法概説」の研究余録に、喜屋武朝徳先生が61歳のころの論稿が収録されている。タイトルは「唐手の練習と試合の心得」で、①唐手の歴史及び大意、②練習心得、③現場試合心得の三節で構成されており、喜屋武朝徳先生の唐手についての考え方を知る上で大変意義深い。
鹿児島の示現流に似た考え方があり、何処でどう繋がったのか興味がある。(道統をひもとく中で明らかになるが、喜屋武朝徳が師事した松村宗棍の本名は松村武長で、宗棍は示現流から与えられた号で棍法の師匠の意味という。)
先般、私は喜屋武朝徳先生の新たな論稿を入手した。昭和17(1942)年5月7日付けの新聞(当時、戦時体制強化として政府・軍部の「一県一紙統合令」によってメディアが統制されているので沖縄新報と思われる)記事で、見出しは「空手の思出」となっている。
喜屋武朝徳先生が73歳で読谷村比謝川河畔に居住している頃に書かれたものである。新聞のコピーではあるが、拳聖喜屋武朝徳先生に関わる第一級の史料に胸が騒ぎ、一気呵成に読み下した。
ronkou1.jpg多くの伝記作者は、筆をそろえて喜屋武朝徳先生は小柄な身体つきだったと記している。
本論稿においても喜屋武朝徳先生自ら詳しく語っている。幼少の頃、小さく脆弱であったこと、父朝扶から厳しく教養され、相撲や空手の指導を受けたこと、識名園で父を介して沖縄空手中興の祖松村宗棍先生から「五十四歩」を教わったこと、父の仕事の都合で上京し、雪の降る寒い日に父から受けた庭先での厳しい稽古や富士見町の二松学校において三島中州先生から漢学を学んだこと、在京9年の後に家族の都合で帰郷し、泊の武人第一人者松茂良興作先生や親泊親雲上先生に師事したことなどが書かれており、当時の空手界の風習(蛮習)として残る酒座や色町などでのカキ試しも詳細に記されている。その内容のすべてが先生の空手生涯を知る手がかりとなる。
明治4(1871)年の琉球処分後の「日本化」の過程の中、大望を抱いて本土へ渡った唐手家たちによって、沖縄空手は本土伝承され近代空手の道へ普及発展した。
喜屋武朝徳先生の本土各地への空手行脚も周知の事実である。論稿中に、日本武道の精神に影響されつつ日本空手の普及発展に貢献した富名腰義珍氏へのエールがあるが、その流れに最後まで与せず、沖縄空手の伝統性を継承してきた喜屋武朝徳先生の複雑な心境を語っているのが印象深い。
更に、「空手の道」、「空手の目的」、「勝負術」、「攻防自在の法」、「修業者の覚悟」、「力の必要」、「筋肉の調和」、「修業者の年令及び体格」、「チーシと巻藁」、「結び」の各編から構成される。漢語的表現も多く難解な文章だが、斯道に志す者にとって無二の宝となろう。
沖縄少林寺流の道統は、一器の水を一器に瀉ぐが如く拳聖喜屋武朝徳先生から宗家仲里常延先生へ、さらに宗家から門下生へと血脈相承し、道統連綿として現在に及んでいる。近年、愛好家の大幅な増加にともない、沖縄少林寺流は、古流型の技法と解説、理論体系化をはじめ、組織の増大等、過去に例のないほどの進展を遂げてきた。
拳聖喜屋武朝徳先生の教えを正しく、幾年後の今日に伝え、少林寺流空手道の原形を当代へ継受する唯一の道場、求道館宗家道場が果たす役割は極めて大きい。
本論稿は沖縄少林寺流の門下生にとって古典書としての価値は大きく、修行過程で困難に直面し悩んだときなど、疑問を解く上で十分応える内容である思うし、今後、自らの修行に役立てたい。仲里常延先生の著書「求道」に加えて、喜屋武朝徳先生の論稿「唐手の練習と試合の心得」と「空手の思出」は、沖縄少林寺流の道統を学ぶ古典書として指定したい文献である。
今年(2007年)4月、私は少林寺流空手道の宗家仲里常延先生に師事してちょうど満40年を数えた。この間に先生を含め先輩諸氏から多くのことを学んだ。
宗家の下の空手修行は、日頃の心身鍛錬はもちろんのこと武道観を身につける上で影響を受けた。日常生活の中でも、空手修行が質量ともに関わりが深くなった。今回の喜屋武朝徳先生の論稿二題との出会いは、空手修行へのモチベーションを高め、空手の技と心を磨くいざないとなるだろうか。私の恩師は仲里常延先生、また恩師の先生は喜屋武朝徳先生、喜屋武朝徳先生の先生は松村宗棍先生等々と道統をはっきりとわきまえながら・・・。
最後に、技のこころを探求した先人たちの含蓄に富む言葉を紹介する。剣道10段を贈られた不世出の剣士、持田盛二先生は、89歳で倒れるまで道場に立ち続け剣道の真髄についての言葉を遺した。「わたしは剣道の基礎を身体で覚えるのに五〇年かかった。
五十を過ぎてから本当の修業に入った。心で剣道をしようとしたからである。
六十歳になると足腰が弱くなった。心を働かして弱点を強くするように努めた。
七十歳になると身体全体が弱くなった。今度は心を動かさない修業をした。
心が動かなくなれば相手の心がこちらの鏡に映ってくる。」と・・・。
技のこころ五〇年として掲載された或る文章では、「左甚五郎が鉋をかけると、その板がくっ付いた。それは刀の研ぎ方ひとつなんです。
印刀の選び方は、象牙なんかの硬いものを彫るときは、軟らかい刃。軟らかいものを彫るときは硬い刃を使うんです。
それで彫ると切れ味も出るし、印刀のほうも作品のほうも傷まない。両方活かすんです。長持ちするんです。これは信仰にも通じるんじゃないですか。
人を活かす言葉、殺す言葉。昔は幕屋でも、よく活人剣殺人剣なんて言ってましたね。」と・・・。
空手の技法は勿論ですが、こころ豊かな武道観の修得をめざして修行に一路邁進したい。


注)文章中、唐手と空手の表記が混在するが、当時の「からて」の呼称を表記した。
※参考資料および文献:
【求道】(仲里常延=少林寺流空手道宗家)
【空手の思い出】(喜屋武朝徳、1942年5月17日)
【唐手の練習と試合の心得】(喜屋武朝徳、拳法概説=三木二三郎、高田瑞穂、1930年1月10日)
【向姓世系図】
The History of Japanese Karate Masters of The Shorin-ryu(Graham Noble) FIGHTING ARTS INTERNATIONAL

2007年5月27日


2008年6月18日 00:06 upload

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